「なぜ、植物図鑑か」を読む
昨年亡くなった写真家中平卓馬さんの「なぜ、植物図鑑か」を読んだ。昨年、新聞に報じられた訃報を
読んで、いつか読もうと思っていたこの本のことを思い出し、急ぎ買ったのでした。でも、いざ読み始めて
すぐにとん挫し、積読状態だった。理由は、観念的抽象的言葉がが、次々と出てきて、意味は何となく分
かるような気もするが、あくまでも気がする程度にしか読み込めなかったことだ。とにかくこの人との語彙
力や知識は桁外れだと思った。自分の言葉に酔い、益々意識が高揚していくような文章は、昔、読んだ
ことがある。そんなことで、字面を目で追いながらも頭の思考がまったく別の所をさまようような状況で、
しばし積読になってしまった。
今度は、気合を入れなおして、ある意味、「不退転の決意」で読んだ。中々感想を言葉に置き換えるのが
難しい。中平卓馬さんの写真に向かうスタンスは、畠山直哉さんが学生時代に、恩師である大辻清司さ
んから受けたというアドバイス=「説明的な要素をできるだけ省いてみたらどうですか」(「話す写真」畠山
直哉小学館より)に相通じる感じがする。翻って、自分のスタンスは?もっともっと、ぶつかろう。